SDGsバッジに学ぶ脱グリーンウォッシュと当事者意識
SDGsバッジとは
一年くらい前に、あまりに疲れてちょっと贅沢してグリーン車に乗ってみたら、それでも混んでて座れなくて。
…すると同じスペースに立っているいかにも「カタカナ系保険会社のバリバリ外交員」みたいなスマートな男性が見慣れないバッジを胸に付けてました。
それがSDGsバッジ。
…こんなんとか。
SDGs 国連本部限定 ピンバッジ 2個セット UN 正規品
…こんなんとか。
まぁ微妙に距離はあってよく見えなかったものの(言い訳)、仮にも「ソーシャル」のカテゴリを作ってる者が一瞬でそれがSDGsのマークと気づかない、またそのバッジの存在を知らなかったのも良くないんですが…
最近は丸の内界隈で働く金融マンを中心によく付けているのを見かけるといいます。
(そういえば私も社会人になって1番最初は丸の内勤務だったなぁ…)
政治家、官僚なども意識して付けているみたいですね。
先日のソーシャル系野外イベント「グローバルフェスタ」でもどこかでノベルティにしてました。
流行…なんですかねぇ?
今日はちょっとこれに関するお話です
そもそもSDGsって
さて、そもそもSDGsってなんでしたっけ。
今さらではありますが、SDGsは、2015年9月に国連サミットで採択された、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略です。
193の国連加盟国が合意した「私たちの世界を転換する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」案における17の国際的な目標と、それを達成するための169の具体的な対応すべきターゲットを指し、国際社会全体で、2030年までの15年間で持続可能な社会を実現しようというものですね。
ここらへんまでは、今やマストな教養になってきています。
SDGsバッジも、自身は国際社会の一員として持続可能な社会の実現に寄与していくんだ…というアピールに使うようです。
バッジ(SDGsのマーク)のカラーホイールはまさに17色。
国際的な目標を胸に秘め(もちろん襟だけじゃなくカバンでも何につけてもいいんですが…)、それを忘れないように日々行動するわけですね。
今、 “ グリーンウォッシュ ” を思い出す
グリーンウォッシュって何だっけ
グリーンウォッシュ(グリーンウォッシングとも言う)って言葉を数年前(数十年前?)からたまに聞きます。
決して緑色の洗剤のことではありません(寒)。
Wikipediaで調べるとその意味は以下の通り。
グリーンウォッシング(greenwashing)は、環境配慮をしているように装いごまかすこと、上辺だけの欺瞞(ぎまん)的な環境訴求を表す。 安価な”漆喰・上辺を取り繕う”という意味の英語「ホワイトウォッシング」とグリーン(環境に配慮した)とを合わせた造語である。
特に環境NGOが企業の環境対応を批判する際に使用することが多く、上辺だけで環境に取り組んでいる企業などをグリーンウォッシュ企業などと呼ぶ場合もある。
…少し話が離れますが、環境・社会問題に取り組んでいると、「偽善者」だなんだと言われてしまうことがありますよね。
これに対して私がよく周りに言うのは、例えば「そんなことないよ!」という反論ではなく、むしろ「偽善者」上等ってことです。
偽善者だろうとなんだろうと、それで行動する人が増えて、結果として社会が良くなるなら全然良いんじゃないのという考えが根底にあるからです。
もっといえば、所詮世の中アメとムチ。
「偽善」=「他者からのプラス評価」というアメがもらえることで、何か社会にとってプラスになる行動をする動機になることは、大変理に適ったシステムなんじゃないかと思うわけです。
…ところがどっこい、「グリーンウォッシュ」は少しこの考え方と同じように捉えてはいけないと思うんです。
企業が上辺だけで環境配慮を装って、それがバレずに消費行動を誘発するツールの1つになるのなら、それはもはや詐欺に等しいです。
“ SDGsウォッシュ ” を考える
ソーシャル・ビジネス・マガジン「オルタナ」にまさにその考え方をSDGsに関連付ける記事が載ってました。
なるほどうまく言ったもんだなぁと思いました。
また、要は「言っていることとやっている事が同じかどうか」という考えにもまさにその通りと感じました。
「現行一致」は、私の好きな言葉・大切にしているポリシーの一つです。
数十年前と比べて何より今が違うのは、ESG、SDGsへの取り組みが、企業の価値向上、社会的評価、持続的成長に直結するということです。
そういった確かな「アメ」がある以上、やっぱり “ SDGsウォッシュ ” したらあかんでしょう。
現行一致を貫く当事者意識
…話を戻すと、SDGsバッジを企業の取り組みの一つとして社員に付けさせている会社も増えて来ています。
某信託銀行のHPなんかを見ると、「〇〇支店は皆SDGsバッジをつけています」なんて、満面の笑みの行員さんの写真とともに写っています。
「オルタナ」の例なんかは、企業全体に、または経営者寄りに警鐘をならしているように見えますが、バッジを付ける以上はその一人一人が個人単位で意識を持つ必要があると思います。
じゃあ一体個人で何をもとに「現行一致」を意識すればいいのか。
…それはやっぱり、「当事者意識」じゃないでしょうか。
「会社に言われたから」「なんとなく」ではこのバッジは付けてはいけないと思います。
最近では外務省×SDGsのこんなツイートなんかも印象的でしたしね。
こら、#SDGsバッジ をつけたまま駆け込み乗車するんじゃない!😑
(もちろん、付けてなくてもしてはダメですよ!)— 外務省✕SDGs (@SDGs_MOFA_JAPAN) September 18, 2019
あなたのバッジ、予想以上に見られています。
…まぁそういったマナーや何やら、というのはこれに限らずですのでとりあえずおいといて。
SDGsバッジに似たようなものとして、ピンクリボン運動(乳がんと闘う取り組み)におけるピンクリボンバッジなんてものがあります。
これはけっこう企業も単純に「商品の売り上げの一部を寄付に~」のような取り組みが多かったから、バッジをしている社員も説明がしやすい部分もありました。
一方でSDGsの取り組みについては、なかなか説明し辛いなんていうのもあるのかもしれません。
それでも、しいていうなら最低限、
…せめてこのくらいは人に説明できる必要があるのではないでしょうか。
それが本件における「当事者意識」だと私は考えています。
まとめ(追伸)
P.S. 様々な想いを胸に私もバッジを買ってみたのですが、一週間で壊れました。
(裏のピンの部分が完全にとれてもはや付けられない…接着剤で直すか…)
もはやこれだけでSDGs目標12 「つくる責任、つかう責任」に反している気がする…
大きく反省しつつ(正直バッジのメーカーもこれどうなんだ?)、自身も言行一致を貫く当事者意識を鍛えることにします。
それでは。